ヌメラカソン誕生

ヌメラカソンが生まれました。昭和45年。世は学生運動まっさかり。ヌメラカソンの父は東京大学教養学部に所属し、母は御茶ノ水女子大学に所属していた。 ヌメラカソンは、そんな2人の下に学生運動の最中誕生した。 無論、2人は結婚などしておらずヌメラカソンは望まれずしてうまれることとなった。

ヌメラカソンは、未婚の父母の元、小石川にある4畳一間のアパートで育てられることとなった。 TVなどあるわけもない部屋には、ラジオからジャズが流れていた。 ヌメラカソンの父は、毎日のようにヘルメットを被り、シュプレヒコールを唱えてアパートに帰るのは1週間に2階程度。 ヌメラカソンの母は、そんな父の帰りを待ちながら静かに内職をしてすごしていた。 無論、ヌメラカソンの父に収入はあるわけもなく、学費と生活費をヌメラカソンの母が稼ぐ形となっていた。 高度経済成長の最中とは言え、ヌメラカソンの祖父母、つまりは父の父母、母の父母から仕送りなど期待できる状態ではなく、 生計はヌメラカソンの父母が自身で立てていくよりなかった。

とは言ってもヌメラカソンの父の両親は20年前に亡くなっており、ヌメラカソンの父でさえ祖父母の顔は記憶になかったのだが

ヌメラカソンが2歳になるころ、学生運動は激しさを増し、実質的に大学は機能しなくなった。

小石川の周辺には、東京大学、日本大学、法政大学、中央大学、東京理科大学など大学が多く、日本とは思えないほど重重しい空気を呈していた。ヘルメットを被り、マスクをし、竹やりをもった学生と、シールドを持ち頑強なヘルメットを持った機動隊が衝突を起こさずとも睨み合うというのが日常茶飯事であった。

そもそも、学生運動は日米安保理決議にたんをはっする政府の弱腰への抗議とともに、東京大学医学部の学生に対する大学側の対応が原因だったものとみられる。当初は、大学への抗議、政府への抗議を元としたものであろうが、全共闘、革命マルクス、革新などの団体に分かれると、ノンポリというポリシーを持たないとじぶんたちで宣言するものまでが登場し、ただの騒ぎに乗じているものも少なくなかったと思われる。

ヌメラカソンの父母は、そんなノンポリの連中とは違い、革命マルクスはに属し、大学当局、政府当局との話し合いを中心とした役回りになっていた。そんな中で、2人はお互いにひかれあい、自然に一緒にいるようになった。当時は、革命が終わったあとの世界を二人で想像し、その世界で子供を育てることを夢見ていたのだが、皮肉なことに、子供を育てるのは革命という名の戦争の中となってしまったのである。

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